曙光菩薩
 わが故郷・M町は、長崎県の南部に位置する人口八千人ほどの漁師町だ。大抵の漁は昼過ぎから夜間にかけて行う為、昼の港には出走を待つ競走馬のように、白い船が首を揃えて停泊している。たぷん、たぷんと小波を受けて揺れる船たちは居眠りをしているのか、それとも海へ出るのを今か今かと待ち構えているのか。
 幼い頃の姉と兄と私は、さして役に立つでもない手を貸すべく、父が漁から帰る港へ行くのが好きだった。母の引くリヤカーの荷台の上は、姉・兄を経て今や末っ子の特等席だ。まだ夜も明けぬ暗い道中、通り過ぎる静まりかえった街並みに、私は嬉々として目を走らせていた。
 港に着けば船はまだ一艘も見当たらず、夫・父親の帰りを待つ女子供たちの姿が、街灯の明かりにほのほのと照らし出されている。先に到着していた祖母が子供らにアメを配り、ゆるやかに昔語りがはじまる。星の瞬く空のもと、その低い声は耳に心地よく、まどろみを誘う。
 そうした中、明かりを点した船が、沖を照らす灯台の下を挨拶するようにぐるりと迂回し、一艘また一艘と、波を分けて近づいてくる。その沈み具合を見てあれは大漁、あっちはそうでもないと値踏みしながら、今か今かと手をかざして父の船を探す時が、一番期待に胸ふくらむのだった。
 やがて船が横一直線、誇らしげにズラリと居並ぶと、港はにわかに活気付き、慌しくなる。大漁でも不漁でも、皆一心不乱に魚を選り分け、リズムに乗って手際よくさばく。私たち子供も、トロ箱と呼ばれる魚を運ぶ木箱にビニールを張ったり、魚の血やうろこで汚れたまな板を洗ったりと、なかなか忙しい。そうこうするうちにいつしか空が白みはじめ、知らぬ顔で朝が来ているのだった。
 漁の成果をどっさり積んで魚市場へと向かう漁協の大型トラックを見送り、組合の大きな壁掛け時計を見上げれば、七時五分前。傍らで父が薬缶の口からお茶をラッパ飲みしている。ふと視線をずらすと、母がまぶしい朝日と、その下の波穏やかな海に手を合わせていた。その時私は、何か不思議なものを見ているような気持ちになり、母から眼が離せなくなってしまった。母は私の視線に気づくと照れたように顔をくしゃくしゃにして笑い、「さあ、帰るよ」と促がすのだった。
 夜明け前から朝まで。この何気ない出来事は、いつも私の胸にひたひたとさざ波のように近づき、時に遠のく。あの時、朝日をまともに受けて祈っていた母の真摯な横顔を、私は今も「あれは本当に母だったのだろうか?」と、訝しく思い起こす。そして、「そうだ、あれこそ私の母なのだ」と、一人得心し直すのだ。
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